Let's Enjoy Valentining! <ピンクピンチピーチ・サクライダー=慟哭のキッチンドランカー=>
バレンタイン・デー。
多くの女の子が甘いチョコレートに熱い想いを篭めるこの日を、誰もが知っていることでしょう。
チョコレートを送るのは日本独自の風習であることや、それはとある企業の商業戦略に端を発するということを知る者はきっと多く、さらに由来である聖ヴァレンティノの名と、彼と彼に祝福された恋人達の話も、情報溢れる現代では耳にしたことのある人は少なくないはずです。
しかし、これは意外と知られていないかもしれませんが、バレンタイン・デーとはもともと恋人達が贈り物を交換しあい気持ちを確かめ合うための、恋人達を祝福する日であり、けして秘めた想いの告白を応援する日でも新たなカップルの誕生を祝福する日でもないのです。
そして、恋の聖人と呼ばれる聖ヴァレンティノが、実は失恋の痛手を癒す聖人であることを知る者は、おそらくほとんどいないでしょうね。
「──というわけで以上より、彼の日に告白したところで成功率は非常に低いと思われます。それどころか、お邪魔蟲馬に蹴られて死んでしまいたい括弧字余りとなるのではないかと」
「うるさい黙れ」
……一蹴ですか。サクラのサーヴァントとして、主を思う一心からの忠告だったのに。悲しいです、るーるーるー。
「そんな棒読みで泣き真似しても無駄ですからね、ライダー。
まったくもう、どこでそういうこと覚えてくるの?」
後半はぶつぶつと、その声の小ささとこちらに欠片の意識も向いている気配が無いので、私に言っているのか一人愚痴ているのかは判然としない。
サクラの注意は全て目前、彼女の手によりごてごてとゴテレート……もといデコレートされていく大きなチョコに費やされている。
ハート型のビターチョコの上に同じくハート型のホワイト板チョコ。そこをメッセージボード代わりに、さらにチョコソースで「先輩へ」と書く。当然とばかりに語尾にはまたハート。
サクラの想いを表現する芸術のキャンバスチョコを彩る数々のトッピング。何の暗喩なのだか、彼女自身を模した菓子人形まである。……サクラは基本的に趣味の良い娘ですが、寂しい世界に長く置かれた反動か装飾過多になりがちなのだけが珠に瑕です。
と、そこで今自分が居る場所がどういったところか思い出し、周囲を見回す。一瞬で後悔した。
ピンク。ぴんく。どこまでもぴんく。見渡す限りのピンク。そしてハート。陰鬱な雰囲気を漂わせるマトウの屋敷に、滑稽なまでにそぐわないピンクなキッチン。隅っこにある、これまたピンクの冷蔵庫には「恋のラッキーカラーはピンク! ラッキーアイテムはハート!」とのメモ書きがマグネットに留められていた。
その努力は涙ぐましいですが、だからといって何故ここまでドピンクなのでしょう。せめてもっとライトな感じの、女の子らしいものにならないものか。何故ぎとぎとマーブル、何故林家某ピンク。
……暗い世界に長く置かれた反動か色彩感覚がおかしいのも欠点ですね。
そんな異界に目をヤラレルことも無く上機嫌に鼻唄を口ずさみながら、けれど真剣な顔でチョコレート作りに集中しているサクラの様子を窺いつつ、そろそろと彼女の脇にあるピンクフルーツソースのボウルに手を伸ばす。ぺちりとはたかれた。
「こーら、ライダー、どうしてさっきから邪魔ばかりするの」
「いえサクラ、私はけして邪魔をしているわけでは」
「じゃあなに? ライダーってそんなにチョコレート好きだったかしら」
話す間も手の動きは淀まない。料理というものに才能を示さない私はいつも思うが大したものだ。
「格別好きというわけではありません。しかし……実は、先日ちょっと奮発して上等なブランデーを買ってきまして。もちろん私はお摘み必須派ではないのですが、せっかくのバレンタインですからお酒に合わせて美味しいチョコレートが欲しいなと」
ピクリとするサクラ。
「サクラ? どうかしましたか?」
「べ、別に何にもありませんよ? それよりも、じゃあ買ってくればいいんじゃない?」
「そこはほら、やはり市販の高級チョコなどよりも、サクラの作ったものの方が美味しいですから」
私の心からの言葉に、しかしサクラは見透かすように半眼でこちらを見遣る。
「ふうん。で、本音は?」
「もうお金がありません」
「ジャーキーでも齧ってなさい」
ひどいです。心からのおべっかだったのに。るーるーるー。
「それはもういい!」
むー。
「拗ねてもダメ」
くっ、さすがは私のマスター、手強いですね。
しかしこちらとしてもそう簡単には引けません。絶世の美女である特権とサキュバスチックな特殊能力をフルに生かし、高級酒の試飲を繰り返して吟味してきた特別の一本、その芳醇な香りが思い出される。あの香りとチョコレートの甘みが絡み合うことを想像しただけで……あぁ、体が熱る────、んッ──。
「ら、らいだー? ちょ、ちょっと、まだ昼間よ!?」
サクラの焦った声に危ういところでとろけかけた意識を戻される。
ふぅ、危ないところでした。シロウのアレな夢をこっそり覗いて頂戴した精気の味にも匹敵しそうな域まで想像が達したおかげで、もう少しでイケないところにイクところです。
イケないイケない。この夢想を現実とするため、何としても溶けて口の中でドロッとするモノをゲットしなければ。
「ときに、サクラは知っていますか。ヴァレンティノは養蜂家の守護も司るそうですよ」
「突然なんですかそれは」
「蜂、蜂、ミツバチ。ミツバチ、ミツバチ、ハチミツ。ハチミツ、ハチミツ、ハニー。
ほら、ハニーとくれば当然ダーリンですね。
『おおハニー、最愛の人よ!』
『ああダーリン、生涯の恋人よ!』
『『今宵は共に熱い一夜を過ごしましょう!』』」
「…………」
「ああ、きっとシロウも今夜はらぶらぶな彼女とホットチョコレートよりも熱くて甘いくんずほ」
「うるさい黙れ」
「うきゅっ」
サクラのエプロンポケットからピンクフラッシュがこぼれると同時、抗いがたい意志が頭に流れてきて口が止まる。
サクラ謹製マキリ印のスペア令呪だ。正式なものより強制力は落ちるしサーヴァントの能力を強化することも出来ないが、ポケットを叩くと一つが二つ、もひとつ叩くと二つは四つ(耐用回数十回)になる収納いらずの優良製品である。……いくら令呪システムを作ったのがマキリだからって反則なのでは。
「ライダーもしかしてわたしのこと嫌い? さっきから嫌がらせだとしか思えないんだけど」
「いえいえけして嫌がらせなどではありません。私は相手のいる男性にチョコを贈るなんて不毛なことをしようとしているサクラのことを慮って言っているのです。ひょっとしたらお邪魔蟲にすらなれず道化ですよ?」
「お世話に加えて悪意まで余計なものを感じる言い方なのはなんでですかっ。それと蟲って言うんじゃありません!」
「えー」
「なぜ不満そう」
「いえ、こう言えば如何なサクラと言えども諦めるかと思いまして。そしてそのチョコは私のものに」
キッパリと言う私に、何故か頭痛でもしたように頭を押え、細く長く吐息をはくサクラ。
「……ほんとにもう、どこでそんな芸風覚えてきたんですか。なんだかバレンタインにもやたら詳しかったし」
「ふふ、侮ってもらっては困りますサクラ。私にだって今ここに在れる幸運を大事にしたい気持ちがあるのです。そのため現代の女性として馴染む為の情報収集は欠かしていません」
言って自身の努力に誇らしくなり、えへんと胸を張る。
サクラが「う……お、大きい。けどきっと負けてないよね?」と小さく呟くが、耳の良い私にはばっちり聞こえています。
ふっ、残念ですが大きさも形も味も私の方が上ですよサクラ。こっそりイロイロやって確かめたので間違いありません。
「そ、そうだったの。たまに買った覚えの無い雑誌を見かけたけどじゃあ、あれってライダーのだったんですね」
「ええ。n○n-n○に始まりC○n-Cam、V○Viなど一通り押え、最近では週○女性や女○自身も購読しています」
「最後の方はなんだかずれてる気がするけど……」
「それだけではありません、インターネットでだって情報を集めています」
「いつの間に。っていうかパソコンなんてどこに」
「○ちゃんねるにだって行きますよ?」
「それはやめて」
「ですが『漏れ』というのがどうにも馴染めなくて。何か代わりはないですかね、『私』のアナグラムで『たわし』とか」
「やめなさい」
ポンポンとポケットを叩くサクラに、とりあえず口をつむぐだけしておく。
「はあ、すっかり手が止まっちゃったじゃない。あまり時間ないのに……ライダー、チョコは余ったこれをあげるからもう邪魔しないでね」
ボウルに入れられた、削りカスのようなクズチョコを渡される。
……確かにこれもチョコレートですが。しかし目の前にもっと上等なものがあるのに、これで満足できるわけがないではないですか。美味しいお酒のためにも、ここで諦めるわけにはいきません。
「サクラ」
呼びかけながらどうすればいいかを考える。さすがにバレンタインネタも切れたし、遠回しに言っても効果が見込めないことは、先程までで立証されている。
──ならば、やはり直接ストレートな言葉でいくしかありませんね。
「サクラ、やはりその見るからに気合の入ったチョコは私にくれるべきです。だってどうせシロウに贈ったところで上手くいくことなんて絶対確実間違いなしに有り得ませんし、それなら私が美味しく食べさせてもらったほうがサクラのその一年前のシンジの存在並みに無意味な気合も、現在のほんの少しマシになったシンジの存在程度の無駄になるだけで済む上私は幸せにお酒が飲めてウッハウハの一石にちょ」
「外に出てろ」
「うきゅっ」
◆
「──、っできたー!」
追い出されて仕方なくぶらぶらと外で時間を潰し、頃合いを見計らって帰るとちょうどその声が聞こえてきた。
キッチンを覗くと、好意的に婉曲な表現を用いれば芸術味溢れる華美なラッピングのなされた箱を、感動にか目を潤ませて掲げるサクラがいた。
「お疲れ様ですサクラ」
「……その差し出した手はなんですかね」
つれない。つれないですよサクラ。
うう、これは諦めてクズチョコ舐めのブランデー嘗めするしかないのでしょうか……。
気分同様沈み込んでいく目線。私よりちょっぴり、本当にちょっぴり背の低いサクラの顔を通り過ぎ、胸元を過ぎ、膝を過ぎて爪先まで視線の落ち込んだ時。捧げた両の手にトンという軽い手応えと、確かな重みが感じられた。なんだろうと意識する間も無く反射的な行動で顔を上げると、私の手にちょこんと、リボンをかけられた箱が乗せられていた。
「────あ」
「それ、ライダーの分です。急いで作ったから先輩のと同じとは言えないけど、でも結構気合入ってますよ?」
照れる様にそっぽを向いたサクラが輝いて見える。
開いた両手と同じくらいの大きさの箱。あたたかいのは箱か手か、とにかく何だかほかほかの温もりを感じて、中のチョコレートが溶けてしまうのではないかと思うほどだ。
そうっと手を胸まで運んで。顔がほころんでいるのを自覚しつつ、サクラの気持ちに感謝を込めて返事をする。
「謹んで交際の申し込みをお受けします」
「なにトチくるったこと言ってますか」
サクラ、ツッコミに容赦がなくなってきています。
「おや違いましたか? 目を合わせてこないのは照れ隠しだと思ったので、きっとそうだとばかり」
「うっ」
またもピクリ。そういえば照れているにしては頬が熱を持っているようには見えませんし、どうもサクラの態度は怪しいところがある。
「サクラ? もしかして何か隠していませんか」
「ギクリ。あ、あははは、や、やだなあライダー。わたし何も隠してなんかありませんよー」
あからさまに怪しい。サクラが何を隠しているのか見透かそうと神経を研ぎ澄ませ──浮かんでしまった疑念に、まさかと恐れおののく。
よく注意してはじめて気付ける、甘ったるいチョコレート香のブ厚いヴェールに隠されたこの匂い────。
そんな……そんなまさか────────!
キッチン下の収納に目を向け、慌てて私を止めようとするサクラを強引に振り払って一気に戸を開け放つ。
「……あ、…………う、あ…………」
あってほしくなかった現実に、膝から力が抜けていく。酩酊状態で夜霧漂う広原に放り出されたような、なにもかもがあやふやに感じられる中、たった一つだけ鮮明
力無いもっさりとした所作でリボンを解いて箱をあけ、顔を近づけて匂いをかぐ。
……あはは、なんて素晴らしい香りなのでしょう。チョコレートの体を疼かせる甘い匂いに、フクザワユキチの集団殉職を誘うくらいの高級感溢れる芳香が隠し味ならぬ隠し香となって絶妙のハーモニーを生み出し私の頭はピンク色のくんずほぐれつですあはははははははははうふ。
すん。泣いてなんか、ないもん。
「えーっと、あのね、ライダー?」
しばし意識を失っていたような気もする。遠くから聞こえてくるような声がサクラのものであると認識して、一気に我を取り戻す。
そう、この胸に渦巻く感情をぶつける相手は、メノマエニイルノダ……。
「……ぁ……ぅらぁ」
「……あ、あーいっけなーい! もうこんな時間だ、すぐに先輩の家に行かなくっちゃ!」
ギリリと歯を軋ませ、足早にこの場を去ろうとするサクラを仇のごとく睨み付け、腹の底は地獄の底、そこから響かす世界を震わす大音声!
「サァァクゥゥラァァァァァァァァッ────────────!」
「うわーんごめんなさーい! だって他に料理酒がなかったのー!」
「たかがチョコにどれだけ使ってるんですかーッ!」
「だってすごくいい香りだったんだもんいっぱい入れれば食べた先輩が酔ってああダメです先輩そんなところまでな展開になるかもって思ったんだもん一杯だけのつもりがついついお代わりしちゃったんだもん────────!!!」
「飲んだのか飲んだのか飲んだのか飲んだのか飲んだのかオマエガ────────!!!」
【お・し・お・き♪ END】
「くすん。わたし、よごされちゃった……」
「何を今さら」